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広島高等裁判所 昭和60年(ネ)189号 判決 1992年7月31日

控訴人(被告)

山根一洋

被控訴人(原告)

荒谷恵子

主文

一  原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

二  被控訴人の請求を棄却する。

三  控訴費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

主文と同旨。

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二当事者の主張

当事者双方の主張は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

一  原判決二枚目表一一行目から裏二行目までを次のとおり改める。

「加害車 普通乗用自動車(広島五六な五七七八)

右運転者 控訴人

被害車 自転車

右運転者 被控訴人

態様 被害車が前記交差点の自転車専用道を青信号にしたがつて南方向に向かつて直進していたところ、北方向から南進してきた加害車が前記交差点で東方向に左折して衝突したもの。」

二  同二枚目裏五行目の「信号遵守義務違反」の次に「ないし前方不注視」を加える。

三  同三枚目裏一〇行目の「から」の次に「同年」を加える。

四  同四枚目表三行目の「から」の次に「同年」を加える。

五  同六枚目表七行目を「2 同2のうち、控訴人が加害車の保有者であること及び控訴人に前方不注視の過失があつたことは認めるが、その余は争う。」と改める。

第三証拠

本件記録中の原審及び当審証拠関係目録記載のとおりである。

理由

一  請求原因1(事故の発生)は当事者間に争いがない。

二  控訴人の責任について

控訴人が加害車の保有者であること及び本件事故の発生が控訴人の前方不注視の過失によるものであることは、当事者間に争いがない。

したがつて、控訴人は、自賠法三条及び民法七〇九条に基づき、本件事故によつて被控訴人が受けた損害を賠償する責任がある。

三  本件事故による被控訴人の受傷について

被控訴人は、本件事故により頭部外傷Ⅱ型、左側頭部挫創、外傷性頸椎症、両眼視神経萎縮の傷害を負つた旨主張するところ、控訴人は、これに抗争し、頭部外傷Ⅱ型、左側頭部挫創、外傷性頸椎症は知らない。両眼視神経萎縮は本件事故と相当因果関係がない旨主張するので、以下検討する。

成立に争いのない甲第一号証ないし第一一号証、第一五号証、第一六号証の一、二、第一七号証ないし第二六号証、乙第一号証、原審証人桧垣雄三郎、同平田寿雄、当審証人一ノ瀬眞平、同戸田慎太郎、同筒井純の各証言、原審控訴人本人尋問の結果、当審鑑定の結果並びに弁論の全趣旨及び同趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一二ないし第一四号証を総合すれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

1  次のとおり付加、訂正するほかは、原判決八枚目裏五行目から一一枚目表六行目までと同一であるから、これを引用する。

(一)  原判決八枚目裏一〇行目の「創」の次に「(出血を伴う)」を、「頭部外傷Ⅱ型」の次に「(脳の器質的障害ではなく、受傷後の健忘症)」を各加える。

(二)  同九枚目表一行目の「同年四月二九日に」の次に「旧住所(広島市南区比治山本町一一番一七―三〇二号)から肩書地に」を、三行目の「治療を受け、」の次に「頭部外傷Ⅱ型、左側頭部挫創、外傷性頸椎症はほぼ治癒したが、」を各加える。

(三)  同九枚目裏一行目の「広」から二行目の「高陽町に」までを「前記のとおり」と改める。

(四)  同一〇枚目裏一〇行目の「となつてほぼ固定した。」を「となつた。」と改める。

(五)  同一一枚目表五行目の「固定した。」を「固定し、」と、六行目の「結果した。」を「結果したものであるが、その後も、被控訴人は、広大眼科で通院治療を受ける一方、視力障害治療のため、昭和五六年九月一八日から、甦生会で鍼治療を受けたが、回復の兆しがなく、現在の右眼の視力は〇・〇二、左眼の視力は〇・〇一である。」と各改める。

2  平田寿雄医師を含む広大眼科の被控訴人の視力低下の原因等についての見解は、原判決一一枚目裏一行目から一二枚目裏七行目までと同一であるから、これを引用する。

3  筒井純、竹田純爾各医師の本件事故と被控訴人の視神経萎縮の因果関係等についての見解は、次のとおりである。

(一)  被控訴人の視神経萎縮は視神経障害によつて起こつたものと考えられる。視神経障害の原因としては、<1>脱髄性疾患、<2>炎症性疾患、<3>循環障害、<4>代謝性疾患、<5>中毒性疾患、<6>腫瘍、<7>外傷等があるが原因不明のものも多い。頭部外傷後に視神経障害を合併することは日常臨床においてしばしば見受けられるが、そのほとんどは外傷直後に起こるものである。本例の場合、左眼の視力低下は外傷後二か月、右眼は外傷後一一か月に発症しており、外傷に起因したものとするには根拠に乏しい。文献的にも頭部外傷後の遅発した視力低下は外傷との因果関係を証明するのは困難としている。ただ外傷により視神経、視交叉の循環障害が徐々に起こり、視交叉部くも膜炎が併発し、視神経萎縮を来したと考えられなくもないが証明不可能である。従つて、本例に認めた視神経萎縮は総合的に判断して本件事故とは無関係の視神経炎によるものと考えるのが妥当と思われるが、本件事故との因果関係を全面的に否定することはできない。

(二)  外傷性の視神経障害の例としては、<1>視神経管骨折、<2>視神経鞘出血、<3>視神経破壊による抗原抗体反応によるものが考えられる。

(三)  外傷性による視神経萎縮は、五〇パーセント位が直後に、二五パーセント位が数週間以内に発症するものであり、筒井純医師の臨床例で一番遅いものとして、三か月というものがあつた。

(四)  被控訴人の両眼とも、視野の中心暗点を形成しているが、これはウイルスの感染症によるものが多く、ウイルスによる視神経萎縮であつても、両眼の発症時期が異なることがあり、原因不明とされるものは、結局、未発見のウイルスによるものと考えられる。

4  戸田慎太郎医師の見解は、次のとおりである。

(一)  被控訴人の視力低下の急激性に鑑みれば、急性球後視神経炎と考えられる。

(二)  球後視神経炎は、ウイルスによるものが一般であり、通常、頭部外傷によつて起こることはないが、何らかの理由で球後視神経が打撃によつて傷が生じれば、受傷直後に視力低下が起こる。

(三)  ウイルス性の球後視神経炎でも、両眼の発症時期が異なることはありうる。

右認定によれば、被控訴人の頭部外傷Ⅱ型、左側頭部挫創、外傷性頸椎症の各傷害が本件事故によるものと認められる。

ところで、訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものであるところ(最高裁判所昭和五〇年一〇月二四日第二小法廷判決・民集二九巻九号一四一七頁参照)、被控訴人の視神経萎縮による視力低下が、本件事故と相当因果関係がある旨積極的に唱える医師はなく、原因がわからないという意味で、本件事故との因果関係を否定することもできないというものであり、本件事故直後に視神経炎(乳頭炎又は球後視神経炎)をもたらす傷害があつたとの証拠はない。そうすると、被控訴人の視神経萎縮と本件事故との間に、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持つほどの高度の蓋然性の証明はなく、被控訴人の視神経萎縮と本件事故との間に相当因果関係を認めることはできない。

右認定判断を左右するに足る証拠はない。

四  損害について

1  治療費

前掲甲第二、三号証、第五号証、第七号証によれば、被控訴人は、前示一ノ瀬病院及び横山外科における治療のため、八一万二七三〇円の治療費を要したことが認められる。

被控訴人は、視力障害についての広大眼科及び甦生会の治療費も本件事故と相当因果関係がある旨主張するけれども、前認定のとおり、肯認することはできない。

2  付添看護料

前掲甲第一号証、第一六号証の一、二によれば、被控訴人は、本件事故当日から昭和五五年三月六日まで、付添による看護ないし介助を必要とし、職業付添婦の看護を受け、九万五〇〇三円を要したことが認められる。

3  入院雑費

被控訴人が、本件事故による傷害のため、一ノ瀬病院に二三日間入院したことは、前認定のとおりであり、その間入院雑費として、少なくとも一日当たり一〇〇〇円、合計二万三〇〇〇円を支出したことは容易に推認されるところである。

被控訴人は、視力障害についての広大眼科の入院雑費も本件事故と相当因果関係がある旨主張するけれども、前認定のとおり、肯認することはできない。

4  休業損害

前掲甲第二四号証、原審被控訴人本人尋問の結果によれば、被控訴人は、本件事故当時、満二七歳の主婦であり、主婦業のかたわら喫茶店のアルバイトをして月額五万円程度の収入があつたことが認められ、前認定の一ノ瀬病院の入通院期間(入院期間二三日、通院実日数一六日)、横山外科の通院期間(通院実日数二日)に、被控訴人の視力低下と本件事故との間に相当因果関係が認められないことを考慮すると、被控訴人の休業損害は一か月分と考えるのが相当であり、そうすると、被控訴人の本件事故と相当因果関係ある休業損害は、昭和五五年賃金センサス第一巻第一表、産業計、企業規模計、学歴計の女子労働者平均賃金(二五ないし二九歳)の年間合計二〇二万五〇〇〇円の一二分の一である一六万八七五〇円にアルバイト収入五万円を加えた二一万八七五〇円となる。

5  入通院慰謝料

被控訴人は、前認定のとおり、本件事故により、一ノ瀬病院に昭和五五年二月二二日から同年三月一五日まで入院し、同年三月一六日から同年六月一八日まで通院(通院実日数一六日)し、横山外科に同年八月二二日から同年八月二五日まで通院(通院実日数二日)したものであるところ、右入通院によつて被控訴人が受けた精神的苦痛に対する慰謝料は三〇万円が相当である。

被控訴人は、視力障害についての広大眼科及び甦生会の入通院慰謝料を主張するけれども、前認定のとおり、肯認することはできない。

6  後遺障害による逸失利益及び後遺障害慰謝料

被控訴人は、視力低下による逸失利益及び慰謝料を主張するけれども、前認定のとおり、被控訴人の視力低下と本件事故との間に相当因果関係を認めることはできないから、右主張は失当である。

7  過失相殺

控訴人は、本件事故の発生について、被控訴人にも過失があつた旨主張するので、以下検討する。

成立に争いのない乙第四号証、原審被控訴人、当審控訴人本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

被控訴人は、本件交差点の自転車専用道を青信号にしたがい、かつ、西方向を確認しながら南方向に被害車(自転車)を直進運転していたところ、控訴人は、北方向から南方向に時速二〇ないし三〇キロメートル(秒速五・六ないし八・三メートル)で加害車(普通乗用自動車)を運転し、本件交差点で東方向に左折したものであるが、左折直前、同乗者から反対方向(南西方向)の建築中の建物(広島市南区役所)について尋ねられたことから、同方向を脇見し、右建物について説明したため、被害車の発見が遅れ、前方四メートル位ではじめて発見して急制動するも間に合わず、加害車前部バンパー右側を被害車の後部に衝突させた。

右認定事実によれば、本件事故の発生は、専ら控訴人の前方不注視の過失によるものということができ、被控訴人に過失があるということはできない。

したがつて、控訴人の過失相殺の主張は失当である。

8  損益相殺

被控訴人が、本件事故について、既に二三七万二二九〇円の支払を受けていることは、当事者間に争いがない。

そうすると、1ないし5の損害合計一四四万九四八三円は既に支払を受けていることが明らかである。

9  弁護士費用

前認定のとおり、被控訴人の損害金は既に弁済ずみであるから、弁護士費用の主張は失当である。

五  結論

以上によれば、被控訴人の本訴請求は理由がなく、これを一部認容した原判決は失当であるから、原判決中控訴人敗訴部分を取り消し、被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 篠清 小林正明 渡邊了造)

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